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2017年12月22日金曜日

文章に美を求める純文学

 
 以前の記事でも書きましたが、純文学は大衆小説と違い、文章を一つの芸術と見立てて書かれた作品のことで、大衆小説とは芸術性よりもエンターテイメント性を重視した作品です。本日はリクエストをいただきました「純文学と大衆文学の違いについて」をテーマに書いていきます。

 

純文学はインパクト重視の作風ではなく、余計な部分を削り取り、純粋に文字だけで小説を芸術化させることを目的にしていて、ガラス細工を作り上げるような精妙さで作品作りが進められていき、作家は神経をすり減らし一つの文章の芸術作品を仕上げていきますが、一般の読者から受ける印象としては「地味」が最も多いでしょう。

ですが純文学に心を置く作家たちは、読者から「地味」と思われようが「陰」と思われようが、文章が見せる「美」を追い求めていきます。

 

・純文学は「バランスとリズム」により美を魅せる

純文学を語る上で、「バランス」や「リズム」という言葉が使われることは意外かもしれませんが、バランスとリズムなくしては純文学は成り立たないのです。

文章中の平仮名と漢字で絶妙なバランスを取り、文章を読み進めていく上でのリズム感。この美しい文章の流れを、娯楽性を放り出してまでも追い求めていく文学こそが、純文学であり、本当の純文学作家なのです。

もちろん大衆文学でも、バランスとリズムは大事ですし、これを無くして優れた作品とは言えないでしょう。しかし大衆小説の文章表現は美とは関係なく、読者に分かりやすく内容を伝えるための手段でしかありません。それに対して純文学は、文章表現の目的は美へと向けられています。何だかこんな書き方をしていては、私が純文学の肩を持っているように思われても困るので一言付け足しておきますが、芸術性や美を追い求めるがあまり、読者を置いてけぼりにしてしまうことは、いかがなものかとも私は思います。読者に、作家が作り上げた芸術作品に酔わせ、深く吟味させることを意識するあまり、楽しめる小説からはかけ離れてしまっているようにも思えます。

 

 これは書く予定ではなかったのですが、純文学の悪い点をもう一つ上げさせてください。純文学作品は大衆文学作品よりも、強く作者の考えや意思が反映されています。純文学とは自分語りに近い面を持っています。そのため、どうしても作者があってこその作品、作者第一主義の作品が多くなってしまい、結果として大衆小説より「つまらない」と言われるようになりました。自分語りを文章表現により価値あるものにまで磨き上げたとはいえ、読者が楽しめることに視点を置いた大衆文学から比べると、やはり娯楽性の少なさは明らかです。

だからこそ文章の芸術作品とも言われているのでしょうが。

 

 ちなみに海外には純文学は存在しないと言われています。純文学に近い作品は探せばいくらでもありますが、それが日本で言う所の「文章表現を芸術にまで高めた作品」であるかと聞かれると、NOと言うしかないです。高品質な文書が使われている作品があっても、娯楽性を無視してまで、美や芸術を追い求めている作品ではないですからね。

 
 

  シバジョーのつぶやき

私はドライフルーツが好きなのですが、札幌には専門的に扱う店もなく(私が知らないだけかもしれませんが)、いつも通販か東京などで仕入れてくるしかないのでけっこう不便しています。もう時期は過ぎましたが、イチジクが大好物なのでイチジクのドライフルーツを自宅で作ることが出来たらいいなと思っています(ブログのネタにもなりそうですし)。
簡単にドライフルーツを作れるような気の利いた物がないか探してはいるのですが、なかなか見つかりません。そんな便利なものはないのかな。

 

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2017年12月21日木曜日

香りの文学的表現


香りを文学的に表現することは、作家によって大きな力の差があります。どんなに素晴らしい作品を書く作家さんでも、香りを表現することは不得手な方もいますし、逆にいつもつまらない作品を書く作家さんでも、驚くような香りの表現をして読者の心を揺さぶることもあります。ということで本日は香りの文学的表現についてのお話です。

 

 作家がどれだけ素晴らしい香りを知っていて、それを作品の中で表現しようとしても、その香りが直接読者に届くことはありません。言葉でそんなことが出来るならノーベル賞を総なめに出来るでしょう。

香りは目に見えるものではなく、作家が言葉にして香りを伝えようとしても、それはすでに作家の主観が生み出したものとなってしまいます。感じた香りや、思い浮かべた香りを頭の中で組み立て言葉として作品に載せた時には、その香りは作家の主観の入り混じった、もっと言うならば作家の作った香りになってしまうのです。

 しかし私たちはその作家の主観の塊である香りに、心打たれることもあります。それは何故か? きっとその答えは、私達が一つの作品を読んでいくうちに、作家の作り出した文学に糸に絡めとられ、香りを表す言葉を「文学の吐息」として受け取っているからでしょう。

 

例えば「私はこの香りが好き」という表現があったとします。このセリフを言ったのが女性だとして、これだけしか情報が無ければ漠然としすぎていて、全く香りの想像が出来ませんよね。ここに一つ言葉を足して「私はこの甘い香りが好き」と書いても、甘いということしか香りの情報が無いので読者には何も伝わりません。

では、「私はこの甘い花の香りが好き」これならどうでしょう? なんとなく香りの輪郭は掴めてきていませんか? 

そしてここでさらに読者に彼女の好きな香りの情報を与えてあげます。

「私はこの甘い花の香りが好き」そういって彼女は香水を手に取った。 

これで彼女は甘い花の香りがする香水を見ていることがわかりましたね。このように言葉を足していくことで、一文でも読者に伝わる情報量がまるで違うのです。そして仕上げに香りを具現化してあげます。

「私はこの濃厚な甘さを持ってるジャスミンの香りが好き」そう言って彼女は香水を手に取った。

これなら大分香りは伝わるはずです。もう少し情報を足すことは出来るのですが、本日は文学的な香りの表現がお題ですので、これ以上分かりやすくしてしまっては、靄がかった文学性がなくなってしまうので、これくらいにしておきます。

しかしこのままでは、正直言って文学性はかなり低いですよね。ではどうするか。この女性のセリフをいじくって文学性を持たせることも出来なくはないのですが、それではどうしても作り物っぽくなってしまいます。だとしたらいじれる場所はあと一つ。【そういって彼女は香水を手に取った】ここですね。では、ここに少し文学性を覗かせてみましょう。

【そう言って彼女は、頬に乗せたチークと同じ温かみのある、薄いさくら色の香りを手に取った】こんな感じでしょうか。純文学に関していえば、このように読者にも考察の余地がある靄がかった表現が多々使われます。

これと先ほどの彼女のセリフを合わせると

 

「私はこの濃厚な甘さを持ってるジャスミンの香りが好き」

そう言って彼女は、頬に乗せたチークと同じ温かみのある、薄いさくら色の香りを手に取った。

 

どうでしょうか? これだけでも文学的な香りの表現になっているでしょう。一見難しいと思われるかもしれませんが、経験を積んでいけばこのくらいは出来るようになります。本来ならばもう数行使い、香りなどをより文学的に表現したいところですが、あくまでも例文ということで。

練習方法は簡単です。自分で何か適当な文を作って、そこに情報と文学性を詰め込んでいくだけです。そしてそれを何度も何度も繰り返す。一日の課題として仕事に行く前に例文を一つ考え、帰宅して寝るまでに、その例文に厚みが出るように練習するのもいいですね。←実はこれ、今でも私はやっています。

例えば「彼は笑いコーヒーを飲んだ」や「彼女の指のネイルを見た」 こういった例文を作って、これを一つの価値ある文に変えていくのです。言葉を足し文を少し変えるだけでも、文学の吐息を感じさせるものになるはずです。

 

最後に香りを表す表現をいくつか載せていきます

・鮮やかな香り

・感動するような香

・深みのある独特の芳香

・心に残る香り

・清香

・香り高い

・穏やかな香り

・香水のような香り

・瑞々しい香り

・すがすがしい香り

・花びらの懐の香り

・人を誘い酔わす色 ←あえて香りと書かない事で文学性を高めることも可能です

・眠気を誘う音が香る ←香りの表現の際に使わないであろう表現も時には大事です

・すみれ色の香り、バラ色の香り ←ひと工夫で読み手の受け取り方が違ってきます

・チュベローズの雫が落ち、淡い緑が心の隙間に広がった ←チュベローズやカモミールなど直接香りが伝わるような単語を使いながらも、抽象的に表現するのも面白いですよね。 
 
このような表現法を頭の中に置いておくだけでも、小説を書いていくときに意外と役立つものですよ。

 

  

  シバジョーのつぶやき

1週間ほど前から急にiPadの動きが悪くなりました。まだ買ってから3年しかたっていないというのに、もう壊れたのでしょうか。でも半年ほどで壊してしまっという話も聞くので、iPadで3年もったのはいい方なのかな。しかしウチの電化製品はどうして年末に壊れやすいのだろう。去年は電子レンジとテレビがほぼ同時に壊れたし、一昨年はパソコン、そして今年はiPad。この忙しい時に無くては困るものが壊れてしまうのは本当にキツイ。

でも体が壊れてないことに感謝しなければいけないとも思います。
 
 
 

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2017年12月20日水曜日

短編小説を書いていく上で必要な事 知っておくべき事


 私はこのブログでも何度か短編の読み物を書いていますが、長編とは違い、短いからこその魅力もあり、その魅力を引き出すことは文章量の少なさゆえ難しくもあります。そしてその難しさが、話を作り上げていく愉しさを呼び起こしもします。

という訳で本日は短編小説についてのお話を少ししていきます。


 

◎短編小説とは何か

短編小説とは、中編小説や長編小説に対して言われるもので、明確な長さは決まっておりません。そのため中編小説との区切りが曖昧になりがちですが、短編小説は原稿用紙10枚から80枚程度、中編小説は原稿用紙100枚以上300枚未満と考えておけば間違いないでしょう。

 

・連作短編小説

この形式の短編小説は意外と知らない人が多いようなので、簡単に説明を。

これは連続して短編小説を書き、それを一つのストーリーとして織りなした形式であり、書き上げるには非常に技術力が必要な小説です

 

 

・短編小説の構成

長編小説や中編小説には、作品構成のための定義やマニュアルがありますが、短編小説に関してはハッキリと定められた構成方法は存在しません。それは短編小説にはある程度作品構成の自由があるためで、作家それぞれの得意な手法で書かれることが多いのです。

 

・短編小説を書いていく上で欠かせないもの

 

    発想力

短編小説を書いていく上で一番必要なことは「発想力」です。どんな内容の作品にして、どう話を進めて行くか。小説家として最も必要な物が問われる作品形態でしょう。しかし短編で書いていくにはどうしても不向きな話もあります。ですので、多くの短編小説を読み、自身の発想が短編むきかどうか判断できる力を養うこともまた必要です。

 

    共感

いかに読者に共感性を持たせるか。書きたい話の内容が決まれば、そこからどうやって読者を作品に引き込み、共感させるかが重要です。平均的に30ページ前後とも言われる短いページ数で読者を引き付けることは難しいですが、それが出来ないと思うなら短編小説を書くことはやめるべきです。

規定文字数の少なさから、作家デビューには短編小説からと考える人も少なくないようですが、そんな安易な考えが通じるほど甘くはないです。ですがセンスがある人なら時間をかけて長編小説を書いて作家になる道を選ぶより、手っ取り早く成果を上げられるかもしれません。

 

    切れ味

中編小説や長編小説では書いていたであろう部分も、削りに削ってください。作品の芯となる部分だけを残すよう削っていくことで、作品に切れ味が出て強く読者をひきつけます。

 

 

〈マクガフィン〉

短編小説に限らず小説や物語を作って行くのなら知っておいて損はない、マクガフィンについて説明していきます。

マクガフィンとは物語を構成する上で、登場人物が行動を起こすための動機付けや、物語を進めるために使われる仕掛けの一つであります。これは物語の製作者側と、その物語を見る読者・観客、またその物語に登場するキャラクターたちの視点の違いから生まれたものです。読者や物語のキャラクター達からしたら重要な事項でも、製作者側が考える物語の構想上では「置き換えが可能なもの」の事で、この言葉を生み出したヒッチコックは、映画作品を企画した際に、ストーリーの鍵となる「ウラトニウムの入った瓶」に難色を示したプロデューサーに対し「ウラトニウムが気に入らないなら、ダイヤモンドを入れておこう」と提案したといいます。

つまりはヒッチコックにとって、「ウラトニウムが入った瓶」が重要なのではなくて「瓶」こそがストーリーを進展させるための鍵だったのです。ですがプロデューサーや映画製作に関わるスタッフは、物語にリアリティを出すために「ウラトニウムとは何か?」「何故瓶の中にウラトニウムが入っていたのか?」「どんな目的を持ちウラトニウムを所持していたのか?」と、そういった事にまで話を掘り下げようとしたのです。ですから「瓶がその場にあること」が重要だったヒッチコックは「そんなことをするならダイヤモンドでも入れておこう」と言ったのです。

 「物語に必要なきっかけであっても、そこを深く掘り下げ読者や観客に説明する意味があるのか?」これをよく考えて書いていかなくてはならないのです。物語にとって必要なものか、必要でないものか、各要素の優先度を決め、いらない部分は削って書く。これも小説を書いていく上で欠かせない技術です。

 

シバジョーのつぶやき

昨日ようやくGoogleアドセンスの申請をしたのですが、申し込むのに3時間以上掛かってしまいました。これは明に私がアホなことが原因なのですが、時間がある時にGoogleアドセンス申請までの悪戦苦闘を書いてみようかなとも思っています。

 

 

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2017年12月19日火曜日

小説でも5W1Hを忘れずに


 

今日のテーマの「5W1H」は新聞記事を書く際の原則として広まりましたが、今やビジネスの場面や小説にも「5W1H」は浸透しています。そしてこれをしっかりとしていくことで、読者に伝わりやすい話が書けるようになります

 


 

【5W1Hとは何か】】

When いつ

Where どこで

Who だれが

What なにを

Why なぜ

How どのように

上記の6つの要素をまとめた、確実性のある情報伝達のことを5W1Hと言い、これに沿って伝えたい情報や文章を書いていくことにより、わかりやすく、もれなく相手に情報が伝わると言われています。

元々は新聞記事を書く際の原則とされてきたものでありますが、現在ではビジネスの場面での報告書やメールの作成時、または口頭での説明の際に用いられることもあります。そして「How much/How many どのくらい」を足し、5W2Hとされることもあります。

 

この5W1Hは文章を構成する際の基本的な原則であり、マーケティング(商品やサービスを生産者から消費者へ円滑に移転するためのビジネス活動の事を指し、また別な意味では、消費者側のニーズや要望と、サービスや製品を販売する企業の目的である、適切な資本投下量で最大の販売・生産効果を目指すことを連関させるための情報収集手段の事)においては、戦略策定や実地内容の検討を行う際に、5W1Hに沿い計画を立てることが求められています。「何故それをしなければいけないのか、標的となるマーケットはどこか、そのマーケットで何を行うか、その計画をいつ誰がどのように実行するのか」このようにマーケティング計画を組み立てていくと、多くの人間に要領よく伝わり、成功に導かれる必要作法です。

 

ちょっと関係ない方向に話がそれてしまいましたね。テヘッ

ここからは実際の小説を使って説明していければいいのですが、全員が知っている小説などないでしょうから、例文で簡潔に説明をしていきます。

 

【小説における5W1Hの活用法】

例文

「私は昨日、友達と会うために、地下鉄に乗りカフェに行きました」

これを5W1Hに当てはめていきますと、

When いつ  :昨日

Where どこで : カフェで

Who だれが  :私

What なにを :行った

Why なぜ   :友達と会うため

How どのように     :地下鉄で

 

これだけ情報がまとめられていると一文でもある程度状況が伝わる様になります。実際には無理に一文でする必要はございませんので、小説の場面場面でバランスよく情報をまとめ、読者に情報を伝えてあげてください。

ちなみにですが、全ての情報を読者に伝えてしまっては、話の雰囲気が壊れてしまう場面もあるでしょう。そういった場合は「私はカフェに行きました」このように「だれが」「なにを」「どのように」だけを含ませれば、最低限の情報は伝えることも出来ます。重要ではない情報をうまく省いてやることも小説には必要です。そして逆に「だれが」「なにを」「どのように」を省いてしまっては意味のない文章になってしまいますのでご注意を。

小説を書き始めたころは5W1Hをしっかり守って書いていくことをお勧めしますが、時には情報を省くことで作品の引き締めにもなるので、何度でも作品を書き続けて効果的に5W1Hを使いこなせるよう頑張ってください。
 

  シバジョーのつぶやき

昨夜、沖縄に住む知り合いから「札幌もうかなり雪積もってるでしょ。子供と雪合戦したいから新雪を送ってくれない?」とメールが来ました。この知り合いからはこの時期になると毎年と言っていいほど同じようなメールが来るのですが、今年は「新雪」の要望付きですよ。新雪とは新しく降り積もった雪の事でして、厳密にいえば「積雪時の結晶の形がほぼ完全に残っているもの」なのですが、そんな状態で沖縄まで送れるわけないでしょう。

たぶん数年前に送ってあげた雪は溶けないようにガチガチに固めてあったため、半分氷状態で遊べなかったから、わざわざ新雪と言ってきたのでしょうが、新雪で贈ることは不可能なため今回は丁重にお断りしました。

 

 

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2017年12月18日月曜日

社会通念から外れた行為



 私は日々まっとうに生きることを考え、社会や人様に迷惑を掛けぬよう生活をしていますが。本日、社会通念から踏み外した行為を久し振りに見ることになりました。社会通念とはあくまでも社会の暗黙の了解事項ですから、例え社会通念を踏み外しても逮捕されるようなことはないでしょう。しかし今日の老人の行為は目に余るものがありましたので、報告がてら記事にしようと思います。
 
 

 

先ほど駅の近くにあるダイソーに買い物に行っていたのですが、レジで私の一つ前に並んでいた爺さんが突然大声で店員さんを怒鳴り始めたました。どうやら探していた商品が見つからなかったようで、レジの店員さんに在庫があるのか聞き、他の店員さんが在庫確認に行っている間に、後ろに並んでいる私を含めた客の会計をするのを待っているようにと言わたことに怒っているようでした。「なんで俺が先に並んでたのに、他の客の会計するんだよ!俺は後回しかよ!順番守れ!」と、大声で叫び始めたのです。

 どう考えてもおかしいのはこの爺さんなんですよ。在庫あるかどうか見に行ってもらってるのだから、今会計してしまっては確認に行ってもらってる商品があったら二度手間になりますし、そもそも後ろで私を含めた3、4人の客が待ってるんですから、そっちを優先させるのが常識でしょう。それなのに「俺が先に並んでたんだから先に会計するのは俺だろ!何でそんな嫌がらせみたいなことするんだ!」と10代後半にも見える女性店員を怒鳴り続けていました。

 でも女性店員がこんなに怒鳴り散らされているのに、他の店員が誰も助けに来ないのもおかしな話ですよね。私はレジに並ぶ前に、レジの後ろのお菓子コーナーで品出しか何かしている男性店員がいるのを見ていたんですよ。「家政婦は見た」じゃなくて「シバジョーは見た」ですよ。かなり恰幅のいい男性店員がすぐ近くにいるはずなんです。でも彼は一向に出てこない。きっとおかしな客と関わり合いたくないから、隠れてやり過ごそうと思ったのでしょう。このままだと女性店員が可哀想すぎるので「お爺さん、それくらいにしておいたらどうですか。一番迷惑かけているのはあなたですよ」くらいのことを言ってやりたくもなりましたが、何せ怒り狂っている爺さんに何を言っても火に油を注ぐだけだろうと、他の客同様、心配そうな顔をして「俺が何したってんだ!ふざけんな!だいたいお前は~」みたいなことを叫び続けている爺さんを、黙って見ていました。

 で、爺さんが若い女性店員を怒鳴りつけ始め1分くらいで、在庫を見に行っていたおばさん店員が走って戻ってきて、満面の笑顔で「ありました、こちらですよね?」と爺さんに言いました。すると爺さんは「ここの教育はどうなってんだ!俺みたいなやつは買い物もするなってか!」と今度はおばさん店員を怒鳴りつけ始めたのです。いきなり怒鳴りつけられたら私なら白も向いて倒れてしまいそうですけど、そのおばさん店員は全く動じずに「ごめんなさいね~。この子もまだ入ったばかりですし、お店も混んでいましたのでどうかご勘弁いただけませんか」ですよ。そう笑顔で返されると、これ以上大声を出しても意味がないということに気が付いたのか、レジを代わったおばさん店員に「何でこんな店が…だいたいこっちが先に並んでたんだぞ…二度と来ないからな・・・」と、ぶつくさ文句を言いながら会計を済ませ、店を出て行きました。「あなたは素晴らしい」と難敵を退けたおばさん店員に、レジに並んでいた私たちは心の中で、盛大に拍手しました。

 「ご迷惑おかけしました」と、おばさん店員に声をかけられ会計を済ませ、私も店を出ようとしましたが、一つ確認しておかなければならないことがあったので再び店内へ。そしてレジの裏のお菓子コーナーを覗いてみると……いましたよ。恰幅のいい男性店員が。プロレスラーみたいな体型をしていますが気の弱そうな顔で、商品棚にポッキーを並べてました。

「おまえポッキーなんか並べてないで、女性店員を助けてやれよ!」と、心の中で叫びましたよ。
ここなら絶対に爺さんの怒鳴り声も聞こえていますから、きっとこの男はポッキー片手に震えていたのでしょう。同僚が怒鳴られているのだから、何もできないにしても助けに出てくるくらいしたらいいのに。でもある意味で危険を察知して、難を逃れることは賢い事なのかもしれません…けど、助けてあげてほしかったです。いや、助けるべきでしょう。

 
人前で怒鳴りつけることは明らかに社会通念に反していますし、たとえその行為を正当化するだけの妥当性があったとしても、こういう行為をする人間にはなりたくないと心の底から思いました。

 

※社会通念とは

社会通念とは人間社会の暗黙の了解事項の一つであります。一般的に受け入れられている「常識」「見解」「良識」という意味で、いわゆる社会の平均値みたいなもの。ですので本日の記事に書いた老人の行動は社会通念から外れた行為と言えるでしょう。
 

しかしどうやって生きてきたら、こういう事を平気でするようになってしまうのか。私はこういった人にはならないよう気を付けよう。

最近真面目ぶりを発揮して固めの記事を書いてきましたが、たまにはこういう感じもいいでしょう。

 
 

  シバジョーのつぶやき

一昨日ブログサークルに私の記事はアップされていなかったが、私はちゃんとブログの更新をしていたのです。しかしどうやら私はブロサーでの最新記事取得をするのを忘れていたようです。もう本当に自分のアホさが嫌になってしまいましたよ。どうして記事取得を忘れてしまったのか。いつもなら記事公開をしたらすぐにブロサーに飛んでいき、最新記事を取得するのに、何故か昨日は「カフェで1杯のコーヒーを前にした時の人間の心理」についての調べ物をしてしまってました…

 
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2017年12月16日土曜日

「読ませる文章」を書くために必要な事


 本日は「読ませる文章を書くにはどうしたらいいか」をテーマに書いていこうと思います。これは小説を書く時はもちろん、ブログの記事やビジネスの資料作りにも応用できますので、覚えておいて損はないはずです。

 

ではそういった「読ませる文章」どう書いていけばいいのか、私達に馴染のある「起承転結」を使い説明していきます。

 

・起…読者に興味を持たせる

 

・承…読者に気持ちよく読み続けてもらう

 

・転…読者の関心を、書き手が意図する方向へ誘導する

 

・結…読者に納得してもらう

 

これをしっかりとやることであなたの文章は、「読ませる文章」へと変わります。

それぞれを簡単に説明していきますと

 

① 起…ここで読者に「この文章、この作品は読む価値がありそうだ。信頼できそうだ」と、思わせなければなりません。冒頭で読者の興味を引きつけることが出来なければ、それはもう読ませる文章とは言えません。

 

    承…最初に掴んだ読者の心を離さないよう、心地よく文章を読んでもらうことが大切です。良い流れを止めないように「転」に繋げてやることが大事です。

 

    転…ここでは「結」で読者に納得してもらうための、お膳立てをしなくてはなりません。結論の信頼性が高まるように、最終場面でのインパクトや余韻が強くなるように、アクセントを付けながら書いていきましょう。

 

    結…結論で読者に納得や満足をしてもらわなければ、何の意味もありません。論理性を持たせ、これまで述べてきた内容を結論付けてください。(小説の場合なら、ここであえてぼやかすことも作品を印象付ける上で必要な場合もあります。ビジネス文書ならハッキリと結論付けなければなりませんが、読者に作品の真相を託すことにより、作品全体の深みが増すこともあります)

 

 

ここからは読ませる文章を書くためのテクニックをいくつか紹介していきます。

 

    言葉を曖昧にぼかしたりはせず、言い切る

これは多くのブロガーさんがやっていることだと思いまが、言葉をごぼかしては駄目なんです。「だと思う」「だろう」「~のような」このようなぼかし言葉は使わないこと。そうすることで靄がかった文章ではなく、ハッキリとした信頼のおける文章になります。断定することが必要であり、確信をもって断定できないなら書かない事です。

 

    大袈裟なほど強く書いていく

読者は弱弱しい文章よりも、大袈裟な文章に惹かれるものです。物事を誇張して書いていきましょう。事実を捻じ曲げないように書いていき、読者に「この人ホントのこと書いてるのかな」と疑いと期待を持たせることも大事です。多少の疑念が沸いたとして、強い文章からは読者は離れません。

 

    誰にでもわかるように書く

これは昨日も書きましたけど、どれだけ専門的な知識があろうと、それを見せびらかせるように難解に書いてしまっては読者に何も伝わりません。そして多くの人が読めないであろう漢字を使うこともよろしくないですね。これも読者を疲れさせるだけですので止めましょう。誰にでも分かりやすく読める文章こそが「読ませる文章」なのです。


 

  シバジョーのつぶやき

人間の脳は不思議なもので、優れた性能を発揮する反面、簡単なことで錯覚を起こしてしまいます。これは有名な雑学ですので皆さんご存知でしょうが、かき氷の「いちご」「レモン」「メロン」のシロップは全て同じ味付けだそうです。着色料と香料を変えるだけで、脳が錯覚を起こし違う味に感じてしまうのです。そしてこれはアメやファンタも同じだそうで、着色料と香料を変えているだけで、実際には味は同じだそうです。

そして私が子供のころ1番好きだったブルーハワイのかき氷。この「ブルーハワイ」味に関して明確な定義は無く、お祭りで売られているブルーハワイは屋台によって味が違うそうです。「ラムネ風味」「ビーチ風味」「ブルーハワイ風味」「サイダー風味」と、シロップも多くの種類が売られています。「ビーチ風味」って物凄く不味そうですよね。もう少しまともなネーミングは無かったのだろうか。

 
 

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新作の販売が開始されました

お久しぶりです。シバジョーです。 いやいや、何ヶ月ぶりですか? 久しぶりすぎて、何を書いたらいいのかわかりません。 あっ、突然戻ってきたのはですね、ようやく作品が完成したからなんです。 昨日からキンドルで発売が開始されています。 ※URLを貼ろ...