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2018年1月5日金曜日

ゴッホの美

 
 私は美術品や芸術品が好きです。美術品や芸術品は様々な形をしており、様々な主義主張が現われているが、そのどれもに共通する点がある。それは、美しさだ。心奪われるような美しさから、悲しみに打たれてしまう美しさ。作品を見て感じる美しさは多種多様ではあるが、確かなことはどの作品にも美が存在しているということ。そしてその美しさはゴッホの作品からも感じ取れる。

 【ゴッホとは】
ゴッホは後期印象派の中でも最も名の知れた、オランダ出身の画家。絵の具の質感を顕著に感じさせる技法や、色を多用した強烈な色彩による対象描写で多くの作品を制作し、ドイツ表現主義など後世の画家に大きな影響を与えた作家でもある。そして浮世絵絵画などを集めていたという一面もある。
 ゴッホは浮世絵絵画の技法に興味を持ち収集し、それを模写した油彩画を描き、浮世絵の構図や色彩を学び取っていったこともあり、ゴッホの作品には浮世絵絵画に共通する点も見て取れる。その影響が顕著に表れているのがゴッホ作「タンギー爺さん」であろう。「タンギー爺さん」の背景には渓斎英泉や歌川広重の浮世絵の模写画が描かれており、その背景の前に座るタンギー爺さんに深々とした情緒をもたらしているように私には見える。ゴッホが残した作品の中で、この「タンギー爺さん」も、私にとって愛すべき作品の一つだ。

 【研究時代】
 ちなみにこの「タンギー爺さん」をゴッホが描いた時代は研究時代ともいわれていて、パリで流行していたスーラシニャックが祖とされる点描画法(純色の絵の具を細かく点のように敷き詰めて描く技法)や、浮世絵に見られる平坦なタッチで描かれる技法クロワソニスムを模倣していた。こういった小さな知識でも頭の中に入れておくと、また違った角度から美術品を見ることが出来る。なので、後二つほどゴッホの技法の変化を紹介しておきたい。
 
 【色彩表現時代】
 研究時代の次に進んだのが色彩表現時代で、夜のカフェテラスなど色彩の力を一気に開花させて時代である。ゴッホが赤と緑、黄と紫など隣接することで互いの色が引き立ち合う補色関係をよく理解した時代。ちなみに、私がゴッホ作品の中で一番好きなのが、この時代に描かれたとされる「夜のカフェテラス」である。
 
 【表現技法時代】
 そして最後に表現技法時代。間違いなく彼が最も悩み苦しんだ時代であろう。この時代に描かれた彼の絵には、不安などの負の感情が手に取る様に感じられる。そしてこの時代に彼は自ら命を絶ったと言われている。

 最後に自ら悲しい結末へと導いた美術家ではあるが、彼の作品は時代を問わずに美しさがあります。彼の美の心を感じ取ってほしいと思う。美術品を目の当たりにするだけでも、あなたの中に美の引出しが一つ増え、豊かな人生への一歩になるはずです。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

 ※最後にちょっと宗教家のような言葉を使ってしまいましたが、私は生まれてこの方無宗教でございまして、人様をどこかへ導こうなどという考えは持ち合わせていませんのでご理解を。


 シバジョーのつぶやき
本日の記事は、文章だけが羅列していて読みづらいとの声をいただいた記事を少し手直ししアップしました。

 すすきので好きだった店を探していたら、その店が半年も前に閉店していたことを知りました。そこはチリメンジャコをたっぷりと入れたダシ巻き卵が名物の店でした。←私が勝手に名物に決めました。とにかくそのダシ巻き卵がとても美味しく、それを目当てに通っているお客さんもいるくらいでした。
お客もそこそこ入っていたように思えましたけど、いつの間にか閉店していたことがショックでした。
最近は野菜も恐ろしいほど高騰していますし、そういった問題もあったのかもしれませんね。
一昨日見たブロッコリーなんて一つで598円もしてましたからね。財布は薄くなったのに、物の値段は軒並み上がって行く。これってなんなんでしょうね。
 そしてニラも300円もしてましたし長ネギだって・・・野菜好きの私にはこの現状は辛すぎます・・・
という愚痴をこぼしてみました。
 すすきのに本当に美味しいカニクリームコロッケを出すお店もあるのですが、そこも潰れるようなことになったらどうしよう。

2017年11月20日月曜日

「ゴッホの美」

 
 私は美術品や芸術品が大好きだ。美術品や芸術品は様々な形をしており、様々な主義主張が現われているが、そのどれもに共通する点がある。それは、美しさだ。心奪われるような美しさから、悲しみに打たれてしまう美しさ。作品を見て感じる美しさは多種多様ではあるが、確かなことはどの作品にも美が存在しているということ。そしてその美しさはゴッホの作品からも感じ取れる。

 まずはゴッホについて簡単に説明を。
ゴッホは後期印象派の中でも最も名の知れた、オランダ出身の画家。絵の具の質感を顕著に感じさせる技法や、色を多用した強烈な色彩による対象描写で多くの作品を制作し、ドイツ表現主義など後世の画家に大きな影響を与えた作家でもある。そして浮世絵絵画などを集めていたという一面もある。
 ゴッホは浮世絵絵画の技法に興味を持ち収集し、それを模写した油彩画を描き、浮世絵の構図や色彩を学び取っていったこともあり、ゴッホの作品には浮世絵絵画に共通する点も見て取れる。その影響が顕著に表れているのがゴッホ作「タンギー爺さん」であろう。「タンギー爺さん」の背景には渓斎英泉や歌川広重の浮世絵の模写画が描かれており、その背景の前に座るタンギー爺さんに深々とした情緒をもたらしているように私には見える。ゴッホが残した作品の中で、この「タンギー爺さん」も、私にとって愛すべき作品の一つだ。

 【研究時代】
 ちなみにこの「タンギー爺さん」をゴッホが描いた時代は研究時代ともいわれていて、パリで流行していたスーラシニャックが祖とされる点描画法(純色の絵の具を細かく点のように敷き詰めて描く技法)や、浮世絵に見られる平坦なタッチで描かれる技法クロワソニスムを模倣していた。こういった小さな知識でも頭の中に入れておくと、また違った角度から美術品を見ることが出来る。なので、後二つほどゴッホの技法の変化を紹介しておきたい。
 
 【色彩表現時代】
 研究時代の次に進んだのが色彩表現時代で、夜のカフェテラスなど色彩の力を一気に開花させて時代である。ゴッホが赤と緑、黄と紫など隣接することで互いの色が引き立ち合う補色関係をよく理解した時代。ちなみに、私がゴッホ作品の中で一番好きなのが、この時代に描かれたとされる「夜のカフェテラス」である。
 
 【表現技法時代】
 そして最後に表現技法時代。間違いなく彼が最も悩み苦しんだ時代であろう。この時代に描かれた彼の絵には、不安などの負の感情が手に取る様に感じられる。そしてこの時代に彼は自ら命を絶ったと言われている。

 最後に自ら悲しい結末へと導いた美術家ではあるが、彼の作品は時代を問わずに美しさがあります。彼の美の心を感じ取ってほしいと思う。美術品を目の当たりにするだけでも、あなたの中に美の引出しが一つ増え、豊かな人生への一歩になるはずです。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

 ※最後にちょっと宗教家のような言葉を使ってしまいましたが、私は生まれてこの方無宗教でございまして、人様をどこかへ導こうなどという考えは持ち合わせていませんのでご理解を。


 シバジョーのつぶやき
本日の記事は、文章だけが羅列していて読みづらいとの声をいただいた記事を少し手直ししアップしました。

 すすきので好きだった店を探していたら、その店が半年も前に閉店していたことを知りました。そこはチリメンジャコをたっぷりと入れたダシ巻き卵が名物の店でした。←私が勝手に名物に決めました。とにかくそのダシ巻き卵がとても美味しく、それを目当てに通っているお客さんもいるくらいでした。
お客もそこそこ入っていたように思えましたけど、いつの間にか閉店していたことがショックでした。
最近は野菜も恐ろしいほど高騰していますし、そういった問題もあったのかもしれませんね。
一昨日見たブロッコリーなんて一つで598円もしてましたからね。財布は薄くなったのに、物の値段は軒並み上がって行く。これってなんなんでしょうね。
 そしてニラも300円もしてましたし長ネギだって・・・野菜好きの私にはこの現状は辛すぎます・・・
という愚痴をこぼしてみました。
 すすきのに本当に美味しいカニクリームコロッケを出すお店もあるのですが、そこも潰れるようなことになったらどうしよう。

2017年11月18日土曜日

北野武監督の美

 現在世の中には多くの天才が溢れかえっていると私は思う。一時期流行ったカリスマなんちゃらという呼び名もそうだけれど、天才という名称を簡単に与えすぎる現状により、天才の価値が著しく低下してきているように思われる。そして簡易にその名称を手に入れられることを知ってか、飢えたように天才を欲する人たちが増えてきた気がする。
 だが、こんな世の中にも本物の天才は実在する。知る人ぞ知るお笑い芸人であり、映画監督の北野武さんである。今回はお笑い芸人としての武さんには触れずに、映画監督としての武さんの話を少ししていこうと思う。
 天才のことを天才という言葉を使い褒め称えるのは、言葉を扱う職業柄歯がゆい思いをするところではあるが、はっきり言わせてもらうが、彼は天才だ。私の憧れの中の憧れであり、絶対に越えられないと思う壁。いや、越えられないどころか、超えようと意図することすらできない絶望的に高くそびえ立った壁だ。
 北野武監督は映画を撮影する際に脚本も自分で担当されているが、映画の脚本の元となる大まかな話を、早ければ二時間程度、遅くても十時間程度で完成させてしまうというから驚きだ。もちろんそのあと映画に関わるスタッフさん達に脚本を見てもらい、手直しをしていくというが、それでも驚きは全く冷めない。あれほど濃密でユニークな映画の根源となる話を、そんな短時間で書き上げるなど私にはとても無理な話だ。私なら一本仕上げるのに早くても数か月、下手をしたら数年かかってしまうかもしれない。それほど北野武監督の映画は面白く、そして魅力的なのだ。
 
 そして北野監督の映画の特徴といえば、それはやはり暴力的な描写であろう。
北野監督の映画にはいたるところに暴力が潜んでおり、反社会的な男たちの争い事から、恋愛、果てには家族愛にまで暴力性が含まれている。私は性格上、暴力シーンなどはそれほど好む人間ではないのだが、北野監督の映画の暴力には目が釘付けになってしまう。顔をそむけたくなるほど過激なシーンも随所にあるのだが、それでも画面から目を背けることができない。私のような人間が何故?
 答えは簡単なことだった。それは「美」。北野監督の映画の暴力には美が潜在されているのだ。
もちろん暴力は暴力。それ単体の行動様式に美しさは存在しない。暴力と美は完全に異なるもの。この考えがゆるぎなく刻まれている私が、北野監督の描き出す暴力には美を感じざるを得ない。一部分だけ見ればただの暴力シーンなのだが、作品全体を一歩引いた状態で見てみると、やはりそこには美しさがある。世界の先駆者たちが追い求めてきた美と、反社会的な行動の一つである暴力を見事に昇華させている。おそらくそれは北野監督自身が持つ美が成せる業と考えている。私の作品でも暴力的な描写を描くことがあるが、これほどの境地に辿り着くことができるのかと思うとめまいがしてしまう。全くもって憎くなるほど遠い存在だ。
 意地の悪さを感じるほどの才を持つ北野監督。手を伸ばしても、飛び上がっても届かない存在なのかもしれないが、同じく物語を創造する作家としての意地が彼の背中を追ってしまう。必死に追い続ける私の姿も、いつか一つの美となるように。
 最後までお読みいただきありがとうございました

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お久しぶりです。シバジョーです。 いやいや、何ヶ月ぶりですか? 久しぶりすぎて、何を書いたらいいのかわかりません。 あっ、突然戻ってきたのはですね、ようやく作品が完成したからなんです。 昨日からキンドルで発売が開始されています。 ※URLを貼ろ...