現在世の中には多くの天才が溢れかえっていると私は思う。一時期流行ったカリスマなんちゃらという呼び名もそうだけれど、天才という名称を簡単に与えすぎる現状により、天才の価値が著しく低下してきているように思われる。そして簡易にその名称を手に入れられることを知ってか、飢えたように天才を欲する人たちが増えてきた気がする。
だが、こんな世の中にも本物の天才は実在する。知る人ぞ知るお笑い芸人であり、映画監督の北野武さんである。今回はお笑い芸人としての武さんには触れずに、映画監督としての武さんの話を少ししていこうと思う。
天才のことを天才という言葉を使い褒め称えるのは、言葉を扱う職業柄歯がゆい思いをするところではあるが、はっきり言わせてもらうが、彼は天才だ。私の憧れの中の憧れであり、絶対に越えられないと思う壁。いや、越えられないどころか、超えようと意図することすらできない絶望的に高くそびえ立った壁だ。
北野武監督は映画を撮影する際に脚本も自分で担当されているが、映画の脚本の元となる大まかな話を、早ければ二時間程度、遅くても十時間程度で完成させてしまうというから驚きだ。もちろんそのあと映画に関わるスタッフさん達に脚本を見てもらい、手直しをしていくというが、それでも驚きは全く冷めない。あれほど濃密でユニークな映画の根源となる話を、そんな短時間で書き上げるなど私にはとても無理な話だ。私なら一本仕上げるのに早くても数か月、下手をしたら数年かかってしまうかもしれない。それほど北野武監督の映画は面白く、そして魅力的なのだ。
そして北野監督の映画の特徴といえば、それはやはり暴力的な描写であろう。
北野監督の映画にはいたるところに暴力が潜んでおり、反社会的な男たちの争い事から、恋愛、果てには家族愛にまで暴力性が含まれている。私は性格上、暴力シーンなどはそれほど好む人間ではないのだが、北野監督の映画の暴力には目が釘付けになってしまう。顔をそむけたくなるほど過激なシーンも随所にあるのだが、それでも画面から目を背けることができない。私のような人間が何故?
答えは簡単なことだった。それは「美」。北野監督の映画の暴力には美が潜在されているのだ。
もちろん暴力は暴力。それ単体の行動様式に美しさは存在しない。暴力と美は完全に異なるもの。この考えがゆるぎなく刻まれている私が、北野監督の描き出す暴力には美を感じざるを得ない。一部分だけ見ればただの暴力シーンなのだが、作品全体を一歩引いた状態で見てみると、やはりそこには美しさがある。世界の先駆者たちが追い求めてきた美と、反社会的な行動の一つである暴力を見事に昇華させている。おそらくそれは北野監督自身が持つ美が成せる業と考えている。私の作品でも暴力的な描写を描くことがあるが、これほどの境地に辿り着くことができるのかと思うとめまいがしてしまう。全くもって憎くなるほど遠い存在だ。
意地の悪さを感じるほどの才を持つ北野監督。手を伸ばしても、飛び上がっても届かない存在なのかもしれないが、同じく物語を創造する作家としての意地が彼の背中を追ってしまう。必死に追い続ける私の姿も、いつか一つの美となるように。
最後までお読みいただきありがとうございました
2017年11月18日土曜日
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