小説作成で基本となり、間違った使い方をしてしまえば作品を壊してしまうものが、人称の使い方です。この人称を正しく使いこなしていくのは難しい事ですが、小説の中でこの人称を使いこなせるようになった時、あなたの作品は作品として成り立ちます。
しかし、小説で使われる全ての人称を、一度に把握し理解することは困難です。ですので本日は『三人称 神視点(完全客観型)』に焦点を絞り、お話していこうと思います。
【三人称神視点 (完全客観型)とは】
三人称は登場人物でない第三者が語り部になるものですが、三人称に神視点を加えると、その視点を常に中立の一点に固定することが前提となり、作品の登場人物たちの心理描写はもちろんの事、過去も一切語らず、ただ定点カメラとして客観的に情景描写のみを行わなければなりません。(作家や作品によっては、主人公に限り心情描写が書かれることもあります)
これだけ読むとなんて扱いづらそうな人称だと思うでしょう。しかしそんな人称にも使う利点はちゃんとありますので、それをこれから説明していきます。
【三人称神視点(完全客観型)の利点】
三人称神視点の説明だけを読むと、制限が多く作品の幅を広げられないと思われる方もいるでしょうが、そうではないのです。
主人公以外の登場人物に対しては、「推察と表情」や「行動とセリフ」などの表現を使えます。そのため焦点を当てる人間をころころ変えることなく、主格に焦点を当てたまま話を進めることが出来るのです。完全に客観型を使用していくことは技術がいりますが、これを身に付ければ、狭い型枠の中で飛び回ることだってできるでしょう。
しかしこの人称では、作者の出来る事が完全なカメラワークに限定されてしまうため、躍動的なエンターテイメント性を含んだ作品を書く際には、私は合わないと思いますね。それならば、作品の自由度を低くさせかねない三人称神視点(完全客観型)ではなく、完全な客観性を取り払った「三人称神視点」で書いていくのが良いでしょう。
三人称神視点ならば、登場人物に憑依こそ出来ませんが、登場人物が知らない事や様々な人物の思いを自由に表現できますから。
シバジョーのつぶやき
箱根駅伝も終わりに近づき正月の香りもだいぶ薄らいできましたね。日常が色濃く私の背中に迫ってきております。寂しくはありますが、今年は年の始まりからたくさん楽しい出来事が起こりそうな気もしているので、良しとしましょう。何があろうと笑った者勝ちと言いますから、思い切り笑っていこう。
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