久し振りにこのブログの本題である、小説の話をしていこうと思います。
小説の形に関してのお話を少し。
小説を分かりやすく書いていくか複雑に書いていくか、これって結構難しい問題ですよね。小説を分かりやすく書いていくなら、読者を引き込みやすくなりますが、文学性が落ちるのは確か。逆に複雑に小説を書いていけば文学性を高めることが出来ますが、読者層の幅を広げることはなかなか難しいかもしれません。
そして、この問題でどちらが正しいのかと、答えを追い求めることは少し違うとも思います。
それはどちらの形も正しいからです。
もっと言ってしまえば文学に美しさや芸術性を求めるならば、全ての形を認めてやることが必要な気さえします
多くの形を受け入れることの出来る寛容な心にこそ、文学に潜む美や芸術性は映るのかなと思います。
一本の糸があるとします。
その一本の糸を真っすぐ長く伸ばしたのが、分かりやすく書いた小説。
逆に複雑に絡め形ないかのような形を繋ぐ糸を、複雑に書いた小説としましょう。
このそれぞれの糸を想像してみてください。
相反する形でありますが、それぞれの美しさがあると思いませんか。
美しさがあるという事は人を引きつける力があるという事です。
形なんてどうでもいいんです・・・とまでは言い切れない自分が悲しいですが、本当に書きたい小説があるなら、どこかの誰かが作った小説と言う型枠にとらわれず自由に作品を書いてみるのもいいかもしれませんよ。
もちろんこのような形で書かれた小説では、何かの賞を得ることはできないかもしれません。
ですが、一度自分の思うがまま羽を広げて、作品を書いてみるのも面白いですよ。
そしてその作品がどぞの誰かに「何の価値もないゴミのような作品だ」と言われたっていいじゃないですか。
言いたい奴には言わせとけばいいんです。
そんな時はこう言い返してやりましょう。
「私は私の書きたい作品を書いただけ。あなたに何かご迷惑かけましたか」
本気で書いた作品には美しさが宿ります。例えそれがどんなに下手くそな話だって、一生懸命に書いたなら確実に前に進む一歩になっています。
形よく整えられた作品だって、中身が空っぽなものは空っぽです。
要は作品に作者の熱がこもっているかどうかが大事だと思うのです。
シバジョーのつぶやき
昔実家で飼っていた犬の夢を見ました。顔が丸く自由気ままな性格の柴犬です。18歳まで生きた長寿犬です。
そんな彼が久し振りに私の夢の中に現れました。何故か私は至福でスキー場に立っているのですが、そこへ二本足で立ち、歩いてくる丸い顔の柴犬。彼はニッコニコの笑顔を見せて近づいてきます。そして内容は覚えてませんが私達は確かに会話をしたのです。で、我が家で愛していた柴犬は、最後に「わん!」と吠え、去っていきました。
一体何の夢だったんだろう。私に会いに来てくれたのかな。
思い切り抱きしめてあげればよかったなぁ。
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