http://www.2ko2kora2ko6256.com シバジョーのブログ: 持ちうる技術を見せることの可否

2017年8月3日木曜日

持ちうる技術を見せることの可否


 小説を書くという仕事は積み重ねであります。苦悩や苦労を積み、経験も積み、その上で書き上げた原稿を積んでいく。その後には編集者との打ち合わせなどもあり、大きなテーブルから崩れ落ちるほどの多くの物を積み重ねていきます。そして今日は経験と技術について話していこうと思います。

        ・経験とは
 まず人には個人個人生きてきた人生経験があります。そしてこの経験が無くしては小説は書けません。ある意味小説とは著者の人生経験を映し出すものでもあるからです。多くの悲しい思いや辛い思い、その隙間に少しだけ味わえる喜び、感動。こういったものを多く味わった人の小説には、本当に深みのある話が多いのです。そして我々小説家はそういった経験を駆使して、本を手にしてくれた読者に対し喜びや感動を与えようとします。ですから人生経験なくしては小説など生み出せないのです。
 で、もう一つの経験について。それは小説を書く上で積み上げてきた経験です。これはとても大事なもので作品を形作る上で大変役立ちます。

例えば、若い男女が路上で立ち話をしているシーン
僕らは他人の家の塀にもたれかかり話をしていた、
僕はA子に聞く
「どうしてそんなに怒ってるんだよ」
「私何も怒ってませんけど」
彼女は僕が手に持っていたペットボトルを奪い取り、半分ほど開けそれを川に投げ捨てた。
「ざまぁみろ」
彼女は笑った。
と、なんとも味気ないシーンになってますね。
このシーンをセリフは変えずに私が書き換えるならば
僕らは他人の家の塀に並ぶようにもたれかかり、僕らの目の前には道路に沿うように空の色と同じ夏色の澄んだ川が流れていた。
僕はA子を横目で見る。
「どうしてそんなに怒ってるんだよ」
僕と同じように川を眺めていたA子は、僕の言葉に目を細める。
「私何も怒ってませんけど」
A子は僕の手からペットボトルを奪い取り、清涼飲料水を口から流し込む。冷えた甘い液体が彼女の細い首を通っていく。僕は思わずその白く透明な首の動きに見とれ、彼女の手から高く投げ飛ばされたペットボトルの行先を追えなかった。ただ水の弾ける音が聞こえ、僕の手から奪われたものは川に落ちたのだと知る。
「ざまぁみろ」
青い空に浮かぶ太陽のようにA子は笑った。その笑顔のまぶしさが、彼女の行動の意味不明さをかき消した。
こんな感じでしょうか。実は、上にあげた何ともつたない文章は、大学生の頃に私が書いていたものなのです。小説を書き始めたばかりとはいえ酷いものです。
 で、それからいろいろありましたが、現在まで経験を積んだ私が書いたものの方がずっとマシになったでしょう。経験さえしっかりと積めば、これぐらいのことは簡単にできるようになります。綺麗に整えようと思えばまだまだ改善の余地はあるのですが、私は綺麗に整いすぎている文章も自分で書くのは好きではないので、多少粗削りで仕上げてみました。粗さがある方がこういう場面ではいいのかなと私は思います。端正で仕立ての良いジャストサイズのスーツを着こなしたような隙のない文章よりも、これくらいの文章の方が生々しさというか、二人の息遣いが伝わる気がしませんか。←このように客観的な視点から自分の文章を見られるようになるのも、経験があってこそなのかもしれません。
 
 で、本題に入ります。(毎度前書きが長くなって申し訳ございません)このように何度も何度も小説を書いたり、他の先生方の作品を読んでいき、その中で身に着けてきた技術をどう使うかが問題なんです。私は真面目な人間だとは思っていますが、昔は我の強さも持ち合わせていました。本当に恥ずかしい話なのですが、小説を書き始めたのも私の我の強さによってのものなのかもしれません。先ほど載せた学生時代に書いたものは酷いですが、昔の私は下手くそなのに、自分の持ち合わせて技術を人に見せたくて仕方のない人間でした。「俺はこんな技術があるんだ、こんなに文学的な表現ができるんだ」みたいな、人より優れた部分を証明したい我執。以前の私はこの我執に押され、小説の中で自分の持ちうる技術を全面にふるっていました。それ故、私の過去の作品には人様には決してお見せするとこも出来ないような作品もありました。
 きっと小説などを書いている方なら誰でもこの我執はあるはずなんです。技術を見せたい気持ちはあるはずです。ですがそれがどれほど優れた技術でも、使いどころを間違えれば自身の小説をダメにしてしまいます。「俺の書く話はすごいだろ、みんなひれ伏せ~」なんて思いの透けて見える作品なんて読みたくないですもんね。
では、せっかくの経験から得た技術をどうするのか?
これは最近私が見つけた答えなのですが、持ちうる技術をあえて見せないで下さい。
優れた技術を見せないように書いてこそ、一番技術が伝わるのです。
下手に刀を見せては駄目なのです。無防備な丸腰に見せることが大事。
「あ、あいつ丸腰だぞ。斬ってやる」って近づいてきた敵を先に制しているみたいな。
私も他者の作品で何度もこの経験をしたことがあり、「こいつ大したことねぇな」と思い迂闊に近づいて行き、小説を読み終えた時にはズタボロにされたような感覚です。
 つまり上手な小説を書くためには、技術を全力で使うだけではなく、あえて隠すことも大事という話でした。本当に優れた技術は見せないでこそ伝わるものなのです。

何か非常に伝わりづらい説明になってしまい申し訳ございませんでした。

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