小説の文章は、論文や新聞のように、正確さや分かりやすさを重視していては駄目なのです。
分かりやすい文章で書いていけば万人受けするかもしれませんが、それでは文学ではありません。
「可能な限り同じ表現は使わない。使う場合は必ず間隔を開けて」 これが原則となっています。
例えば、私はシバジョーです。私は小説家です。
このように、「私は~です」などの表現を繰り返し使っていては駄目なのです。
訂正すると、私はシバジョーと言う小説家です。
私のブログはブロガーさんの読者が多いですので、多くの人が文章慣れしているため、訂正後の文章の方が分かりやすいと思ってくれるでしょう。
しかし文章力の低い人には訂正前の文章の方がわかりやすいそうです。
つまりは、文学性を求めた小説を書くならば、文章力の低い人達を置いてけぼりにする覚悟が必要になると言われています。(日本国内でも2~3割の人は文章力が低いとのことです)
多くの作家達は、あえて文学性を省いた小説を書くことももちろんできます。編集者がその作品のターゲットを文章力の低い人達だと言えば、そういう方々に向けた作品作りを作家はしていくことでしょう。
このように作品を書いていく際に、どうしてもターゲットは分かれてしまうのです。
万人受けする小説は存在しないと、言い切ってしまってもいいのかもしれません。
シバジョーのつぶやき
革靴でガムを踏んでいたことに気が付きました。新しい革靴でです(#^ω^)
何故ガムを吐き捨てるのか。自分で噛んだガムは責任持って、しっかりゴミ箱に捨てなさいよ。
あと私は、道端に唾を吐く人も大嫌いです。ペッペッ、ペッペッ、と種でも植えるかのように唾を吐いてる人いますが、本当に嫌で嫌でたまりません。どうしてあんな汚いことを平然とできるのでしょう?
私にはとても無理な行為です。
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