2017年8月9日水曜日

足を踏み出すこと

これは犯罪に関する記事ではなく小説関連の記事です。何ともわかりづらいタイトルで申し訳ないです。
 
 型に捕らわれずに作品を書くことは可能なのか。
私は最近よくそのことを考えます。
世に出回る小説の多くが、小説とはこうあるべきだという定義の中で作られた作品です。しっかりとプロットが立てられ、話に起承転結があり、文法や表現に間違いや偏りのない作品を全ての作家が目指しているはずです。
 そしてそれが小説家としての役目でもあります。「この作業を1から10までしっかりとやり通した物が小説だ!」という考えが広がり、出版社も正しい形の小説を望む以上、型や枠から外れた作品など必要とされないのですから仕方のないことです。
 私もこういった考えの下で作られた作品こそが素晴らしいと思いますし、自身でもそういった小説を目指して書いています。決められた型の中に自分のオリジナルの文章を流し込み完成させる。それが小説を小説としてあらしめるのです。それが答えなんです。
それが答~え~だぁ♪ (ウルフルズです、古いですね…)
正しい小説という枠組みの中で、全力でペンをふるってこそ素晴らしい小説は出来ると思います。決められた形の中ですぐれた作品を書き出すのが小説家の仕事なのでしょう。
 でもですよ、ちょっとくらい枠から外れた小説があってもいいとは思いませんか。
正しい形ではないからこそ、かえって作品に艶が出るのではないでしょう
ほら、あれですよ、あれ。本阿弥光悦の作品に見られる歪みや割れ、正しい形を熟知した上で、あえてそこから一歩外れる。だからこそ彼の作品には美術品には疎い私にでも感じ取れるだけの光があるわけです。
 これが本阿弥光悦さんの作品




   いい味出してるでしょう。
 そこで私は思う訳です。
読者に美を感じさせるようにな作品を作り上げてみたいと。
「よっしゃ、私も道を外れてやろう!」と。
………はい、意気込みだけで未だに実現は出来ていません。
というより、道を外れることすら出来てません。
なぜなら正しい道が示されていて、皆その道を通っているわけですよ。大物作家であれ、私のような小物作家であれ、進むべき道を与えられているわけです。
その道から外へ足を踏み出すのは正直怖いです。
ある意味小説家が職場放棄したようなものですからね。
正しい道から外れ、長時間かけて一つの作品を作り出す。
そしてその作品で、道を外れることは間違いではないと示すこと。悔しいけれど今の私には無理な話に思えます。
ただ、いつの日かコッソリとチャレンジしてみたいと思ってます。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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